幼少期
当時、転勤族だった父の仕事で大阪・新潟で過ごし、2歳で仙台市青葉区川平へ。どんなことにも興味を持ち「ぶんで、ぶんで(自分で、自分で)」と、まずは何事もやってみたい!と思う性格だったようです。よく走り回る元気で活発な子どもでしたが、実は体は強い方ではなく小児喘息で入院することもありました。
2019年の市議会議員選挙にて青葉区から初当選をさせていただきました「ごうこ正太郎」です。
1歳の時から仙台市青葉区川平に家族で住み、地元の中山小学校・中山中学校・宮城県立工業高等学校で学生生活を過ごしました。
高校卒業後は地元企業の工場で働き、お金を貯めて22歳で東北学院大学経済学部経済学科に入学、経済格差や教育格差を解消したいという気持ちで大学2年生の頃より郡和子衆議院議員(当時)の秘書として9年間、市長選挙後からは桜井充参議院議員の第1秘書として政治経験を積んでまいりました。
私だからできることがあります
娘と向き合い子育てをしているからわかること
地元中小企業を経験したからこそわかること
苦学をしたからわかること
そしてみなさんから教えていただく「市政をこうしてほしい」という声を糧に
1人1人に寄り添い、地域を元気にする即戦力として閉塞感のある政治をしっかりと前に進めてまいります。
ごうこ 正太郎
(ごうこ しょうたろう)
仙台市議会議員
郡和子事務所(現仙台市長) 元秘書
桜井充事務所 元公設第1秘書
最近では絵本を読んだり、一緒に「いないいないばぁ」を何回もしています。
◆ 料 理
最近は簡単な料理しかできていませんが、トマトソースづくりには自信があり、それを使った料理も好評でした。その他にもドーナッツや焼き菓子、ジュレ等をつくることがあります。
◆ スポーツ観戦
高校の部活引退後、ベガルタ仙台のサポーターとして応援活動に熱中。サポーター席東で太鼓を約10年間、叩いていました。また、楽天イーグルス、仙台89ERS、仙台ガールズプロレスリング、Vリーグなどの試合、高校サッカーなど、幅広くスポーツ観戦を趣味としています。
◆ バレーボール
中学から始めたバレーボールは、今でも友人と楽しむことがあります。コーチとしてチームの指揮を執っていたこともありました。
当時、転勤族だった父の仕事で大阪・新潟で過ごし、2歳で仙台市青葉区川平へ。どんなことにも興味を持ち「ぶんで、ぶんで(自分で、自分で)」と、まずは何事もやってみたい!と思う性格だったようです。よく走り回る元気で活発な子どもでしたが、実は体は強い方ではなく小児喘息で入院することもありました。
地元の「中山小学校」に入学。活発な子どもで、学級委員も担当していました。体を動かすことが大好きで、地元のイトマンスイミングに通っていました。また、小学3年生からは中山FC(サッカークラブ)に所属し毎日体を動かしていました。
地元の「中山中学校」に入学。バレーボールに出会い、熱中していました。他にも様々な音楽にふれ、多くの友人たちと多感な時期を過ごしました。
優秀なバレーボールプレーヤーを数多く輩出する「宮城県立工業高校」に入学。高校1年から試合に出場し、2年からは副主将としてチームをまとめる難しさ・マネジメントの大切さを学び、様々な大会に出場しました。また、勉強では化学工業科に入り、専門的な知識を身に着け技術者を目指し日々研鑽していました。
家計を助け、工業高校で学んだ専門知識を活かすため、仙台市泉区の工業団地にある電気化学系の工場に入社。「QC活動(品質改善のプレゼンテーション)」などに力を入れ、発表者として賞を受賞しました。さらに学びたいという意欲が生まれ、お金を貯めて働きながら、家計を助けながらでも大学に行きたい!と思うようになりました。
22歳で「東北学院大学経済学部 夜間主コース」に入学。昼は正社員として働き、夜は大学という生活が始まりました。給付型奨学生にも選ばれ、仕事と勉強の両立に力を注ぎました。この頃から「経済格差・教育格差の問題」を強く意識するようになりました。同時に、桜井充議員の国会質問をテレビで見て政治に興味を持ち、将来は政治の世界へ!との気持ちを強く持つようになりました。
大学2年で衆議院議員・郡和子(現 仙台市長)事務所の門を叩きました。2008年に学生秘書として活動を始め、2009年の政権交代選挙では選挙事務所スタッフとして活動しました。大学卒業後、永田町での仕事や閣僚のアテンド、地元での政策のヒアリングなど様々な経験をさせていただきました。2017年の仙台市長選挙まで、約9年間郡和子の秘書を務めました。
仙台市長選挙後に郡和子事務所を退職。間を空けず、桜井充参議院議員の公設第1秘書として務めました。
〒981-0954
宮城県仙台市青葉区川平3-47-21
TEL:022-303-8831
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